AVANT コーヒー部

アヴァント株式会社というシステム会社内のコーヒー部が、珈琲焙煎やコーヒーネタなどについて書いています。

【産地と豆種】6.ブラジル その1

こんにちは。

アヴァント コーヒー部、【広報】です。

 

今回はブラジルについてです。

 

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広いが、高度が足りないブラジルの国土

 

ブラジルは、高級豆の産地 としては知られていないけれども、コーヒーの産地としては皆が知っている というちょっと変わった土地です。

 

それもそのはず、ブラジルのコーヒーはほとんど商業生産であり、大規模農園での生産がメインなためです。その規模と歴史は古く、すでに150年以上にわたって世界最大のコーヒー生産地として君臨しています。

もちろん、ほかの産地と比較して、圧倒的な面積と肥沃な土壌を生かしているのです。

 

ブランディングには苦慮することになる。

ただしスペシャルティコーヒーを生産・育成するには高度が足りないのがブラジルの特徴で、そのためか収量重視の大規模農場が増えるという結果になっているのかな?と思います。

 

ブラジルの広大な国土に比べて、コーヒー生産の拠点が少ないのも、この高度の問題につきるのでしょう。あわせて、焼き畑や奴隷、集約農業で密度の濃い育成を行うため、山ごと隣の山に移動して生産量を維持するなど、産地の問題はつきないのです。

 

そのため、ブラジルでは生産量No.1という事実と、農園の歴史やその生産管理方法などの徹底によりブランド力を持とうという努力が行われているのだと思います。

 

以前取り上げたブラジルセルタオ農園100年樹 などもその中の1つだと思います。

木だから100年なんてたしかに当たり前のような気もしていましたが、こうした農法などからすると同じ木が100年そこに植わっているのは農園の運営や農地の管理の優秀さを示す指標となるのかもしれませんね。1900年ごろには、そうできるように、運営しているわけですから。

 

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coffeebu.hatenablog.com

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150年のブラジルのコーヒーの歴史

 

商業生産の初期。

1820年ごろ、ブラジルのコーヒー商業生産は急速に発展する。国内需要を満たすだけでなく、その圧倒的な生産力をもとに海外への輸出を始めるわけだが、コーヒー生産の地主はまぎれもなく驚くほどの富、その小作人の数からの権力をも手にして「コーヒー男爵」と呼ばれました。(日本だとニシン御殿みたいなノリですかね。ニシンだと一発充てる感じだから、恒常的なだけにもっと規模が大きいかもしれませんね)

 

1830年には世界の生産量の30%、1840年には40%とまぎれもなく世界のコーヒー産地となります。しかしながらこの時期の供給量の過多により、世界のコーヒー価格は一気に下落します。またブラジルでも例にもれず、コーヒー生産は奴隷により支えられている状況であった。奴隷1名あたり5000本程度の木を担当し、その生産量を担保していたのだが1888年奴隷制度が廃止された際、世界中のコーヒー農園が一気に危機に瀕するのではないかと懸念されていたが収穫は翌年以降も順調に継続したのです。

 

第2次最盛期

奴隷制度廃止と前後してこの時期には、拡大した生産量により絶大な権力を持っていた「コーヒー男爵」と、ミナスジェライスという地域の酪農家がブラジル国内の政治を動かしていた。

 

ブラジルの政府はコーヒー生産者の権利を守るためにコーヒー価格の安定化を図る。そのため価格維持政策を取り始める。コーヒー市場の低迷期に高値で生産者から買い取り、価格が戻るまで豆を保管するという政策をとったのだ。米の場合は備蓄だったり一括買い上げだったりなのですこし違うかもしれませんが、価格安定のために政府(日本の場合は政府ではないという体裁をとりますが)が買い上げるという点では昭和の日本の米作と似てますね。(やはり国策の農作物は取り組みが似るのでしょうか。)

 

価格下落に巻き込まれないという意味で、コーヒー生産者はどんどん農地を拡大します。もともと生産が拡大し、価格下落を招いているにも関わらず です。

1920年代にはついに全世界の生産量80%までをブラジルで生産するに至ります。政府の高額な買い上げにより、生産者は、生産拡大に必要なインフラ設備を整えるための膨大な資金を得るのでした。

 

こうした拡大拡大からの市場崩壊はコーヒーに限らずほかの生産品に世界中で起こっていることなのですよね。その結果、いろいろな産業で類似した崩壊が発生したり、そのほか要因により世界大恐慌が起こります。

コーヒーは生活必需品ではなく、嗜好品です。こうした恐慌時に価格面でもっともあおりをくらうのです。

 

ブラジル政府は価格維持を目的にこの時点でなんと 約8000万袋 ものコーヒー豆の在庫を焼却処分したのですが、焼け石に水。価格下落を止めることはできませんでした。

 

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ブラジルの施策が世界を決める。

 

第二次世界大戦が勃発し、イタリア・フランス・ドイツ・イギリス・・・コーヒーの消費地の多くは市場閉鎖状態。ヨーロッパはそれこそ「コーヒーどころではない」状態に突入します。

そうなると中南米の多くのコーヒー生産エリアを周辺に抱える「アメリカ」がここに注目します。この中南米を安定させることは戦勝のための重要な条件になってくる。ヨーロッパのコントロールが効かないうちにというのが正しい表現かはわかりませんが、アメリカ主体で中南米のコーヒー価格のコントロールを行う取り組みがなされ、共産主義などがはびこらないように市場主義と貨幣経済の中に「コーヒー」を取り込んでいくのです。

 

こうした状況をコントロールするためにとった方法は、輸出総量からの輸出量の割り当て制度。これを用いて価格の上昇を狙い、価格引き上げを続けて市場安定化をすすめたのです。

この方策の延長上として、1962年、国際コーヒー協定(ICA)が締結されるに至ったとされています。以降コーヒー生産国はこの協定にどんどん参加して後に42か国が参加します。割り当て率についてはICO 国際コーヒー機構により定められるコーヒーの指標価格により決定されます。

 

しかしながらこの協定、1989年にある意味当事者である”ブラジル”が割り当て率の削減に反対し離脱。自身の生産力やブランド力に自信を持ちすぎていたため取り決めなしでもうまくやれるとある意味大きな勘違いをしてしまったのでしょう。これにより、ブラジルの「多すぎる」生産量が市場に一気に流れ込みコーヒー市場は大混乱。世界中の中小産地が価格競争に巻き込まれ一気に「フェアトレード」など産地保護政策への興味関心が進むきっかけとなりました。

 

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ロブスタ種も相当生産してます。

 

このブログではスペシャリティコーヒーを中心に扱うためにあまり触れませんけれども、このエリアでは大規模農園の運営手法を生かしてロブスタ種も多く生産しています。ブラジルではこのロブスタ種を、「コニロン」と呼び、複数の地域で生産されます。

 

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次回は産地や豆種について書いていきますね。

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これは100年樹を味見したころの写真ですがこのころはまだまだ淹れ方が下手だったなぁ・・・。