AVANT コーヒー部

アヴァント株式会社というシステム会社内のコーヒー部が、珈琲焙煎やコーヒーネタなどについて書いています。

【産地と豆種】7.グァテマラ:サードウェーブ系に必須!

こんにちは。

アヴァント コーヒー部、【広報】です。

 

今回は、コーヒー部でもいただきものがグアテマラだったりするのでなぜかよく飲んでいる生産国、グァテマラ(グアテマラ)です。

 

グァテマラ産のコーヒーは、どちらかというと酸味側の味を持っており、サードウェーブ系のコーヒー店の多くはグァテマラ産を使用しているかと思います。缶コーヒーの中ではやはりすこし酸味のある「ジョージア レインボー・マウンテン」あたりがグァテマラ産を中心としたブレンドとなっています。

 

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グアテマラコーヒーの歴史

 

グアテマラの生産そのものの歴史は古く、1747年ごろに栽培が始まっていた記録が残っている様です。グアテマラでは、大航海時代の主要の換金作物はコーヒーではなく、「インディゴ(藍染の原料)」でした。特に天然のインディゴが自生していたグァテマラではその生産量も多かったようです。

 

グアテマラ政府は、インディゴのみに頼るような経済状況を懸念し、コーヒー栽培を含めた生産の多角化を進めます。1845年にコーヒー栽培促進委員会を設置し、コーヒー生産者向けの教育・価格の安定のための価格管理、品質設定を行います。

 

1856年の化学染料の発明・進化は、グアテマラ政府の予想通りインディゴの需要が大きく低下、コーヒーが主要な産物なるきっかけとなったのでした。そこで政府は1868年、コーヒー産業の強化振興のため100万個ものコーヒーの種を配布し、コーヒー作付けを進めたのでした。

 

グアテマラコーヒーの生産量拡大には、先住民の不遇な扱いが隠れています。

1871年、フスト政権はコーヒーを経済の中心に据えます。その過程では公有地という扱いになっていた先住民の農地を40万ヘクタールも売買対象として民間に売り、購入した企業は広大なコーヒー農園を作ったのです。コーヒー生産促進の面ではこの政策は成功したといえ、1880年にはグアテマラの輸出額の90%がコーヒー豆になっていたのです。

 

以降は他国と同じく、世界恐慌から民主化への動き、内戦と続き、さらにはコーヒーの天敵「さび病」にも悩まされ、コーヒー生産農園にとって波乱の時代を迎えるのです。

国内政情の安定を迎えた2000年ごろにはコーヒー生産量は減少傾向にあり、多くの生産者はコーヒーからアボカドやマカデミアナッツに生産を移行していたのでした。

 

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グアテマラのコーヒー等級

グアテマラは、中米の多くの国と同じく、標高による格付けを採用しています。

 

SHB(ストリクトリー・ハード・ビーン):1300m以上で作付け。 

 

以下、

 HB(ハード・ビーン):1220-1300m

 SH(セミ・ハード・ビーン):1050-1220m

 EPW(エクストラプライム・ウォッシュド):900-1500m

 PW(プライム・ウォッシュド):標高が低めの農地 750-900m

 

日本でスペシャルティコーヒーとして流通するコーヒー豆はほとんどがSHBです。

 

そしてグアテマラはコーヒー生産に対して、産地を明確に区分し、味も含めてそれぞれの産地ごとのブランディングに成功している数少ない国であるにも関わらず、日本での流通では「グァテマラSHB」として売られていることが多いです。

コーヒーがもう1段、嗜好品としてのステージを上げるには、この農園ごとの特徴もうまく表現して流通を進めていくのが大切なことかもしれません。

 

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記事にはあまりグアテマラが登場していなかったことにすこし驚きを隠せない中、こちらです。

coffeebu.hatenablog.com